繰り返しの恍惚 ━━「ボレロ」の魅力 東条碩夫

 同じ旋律、同じリズムの繰り返しは、私たちに不思議な恍惚感を呼び起こし、興奮を起させる。
 ラヴェル(1875~1927)の「ボレロ」はさしずめその好例だが、しかしその繰り返しによって聴き手を煽るという手法は、以前からあった。
 よく知られている曲では、たとえば古くはパッヘルベル(1653~1706)の「カノン」が挙げられるだろう。近年、編曲されて大ヒットした版では、単純なフシが、次第に楽器を増やし、音量を増しながら果てしなく繰り返され、聴き手をうっとりさせた。まさに「ボレロ」の先駆だったのだ。
 またベートーヴェン(1770~1827)の「田園交響曲」第1楽章では、第1主題の音型が連続してなんと36回、短い経過部分を挟んでさらに36回繰り返される。これだけ反復されれば、ふつうならしつこい印象になるだろうが、そこはベートーヴェン、颯爽としたリズミカルな快さを聴き手に与えるところが見事だ。
 しかし、後期ロマン派の巨匠ブルックナー(1824~96)の「第8交響曲」第2楽章となると、その「繰り返し」は、なんとも物々しい。短いけれども堂々とした音型を12回続けざまに反復する個所があり、しかも8本のホルンを含めた超大編成の管弦楽がどっしりした響きで、最強奏で咆哮しながらそれを繰り返して行くのだから、その巨大感たるや物凄いことこの上ない。
 さて、こうしたさまざまなスタイルの「繰り返し」のあとに、ラヴェルの「ボレロ」が来る。こちらは、まさにユニークな作品である。それまでは一種の「主題展開」の手法に過ぎなかったものが、この「ボレロ」では、曲そのもののテーマとなったのである。前代未聞の新機軸と言っても差し支えないだろう。
 最大の主役は、終始一貫して一定のリズムをたたき続ける小太鼓である。このリズム主題は、それぞれ僅かにリズムの異なる2小節が1組になったもので、それが全曲中、なんと169回も繰り返されるのだから驚きだ。静寂の中から小太鼓のリズムが始まり、まずフルートが弱音で主題を吹きはじめ、それらが少しずつ音量を増しつつ繰り返されて行き、小太鼓のリズムは全管弦楽にも拡がり、ついには主題とともに、豪壮なクライマックスに達してとどろきわたるのである。その迫力は比類ない。
 それにしても、2種のリズムを15分近くにわたり交互に叩き続ける小太鼓奏者の神経の使い方は並大抵ではないだろう(1回でも気が散って組み合わせを間違えたら即アウトなのだから)。
 ともあれ、こうした美しい「煽り」を見せる音楽が、聴き手を興奮に巻き込まないわけはない。これこそ、「繰り返しの恍惚」の極致なのである。
 のちにロシアのショスタコーヴィチ(1906~75)はこの手法を、彼の「第7交響曲」で迫り来る「戦争の主題」にそっくり引用した。早坂文雄も映画「羅生門」の音楽に「ボレロ」のスタイルを取り入れた。そして「繰り返し」の手法も、現代音楽において、テリー・ライリーの「イン・C」や、フィリップ・グラス、ジョン・アダムズらのミニマル・ミュージックの分野に、いっそう極端な形で引き継がれていったのである。

東条碩夫〔音楽評論〕

                              
                                            

 

クロージングコンサート 大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

公演番号 28-L-3

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 

 ピアノ独奏:コンスタンチン・リフシッツ

ラヴェル:ボレロ

4月28日(日) 18:15~19:15  大ホール

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